無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2008年9月28日 - 2008年10月4日 | トップページ | 2008年10月12日 - 2008年10月18日 »

2008年10月10日 (金)

「おくりびと」感想(劇場)

「おくりびと」感想(劇場)

(08年10月09日 梅田ブルク7・シアター1)
(監督)滝田洋二郎
(出演)本木雅弘 広末涼子 山崎努 余貴美子 吉行和子 笹野高史 杉本哲太 峰岸徹

面白度 :10点/10点
お薦め度:10点/10点


 本木雅弘主演、滝田洋二郎監督の「おくりびと」を観てきました。

 いやぁ、素晴らしかったですね。
ドラマの完成度の高さと役者の演技の素晴らしさを考えると、本年度の邦画ナンバー1と言っても過言では無いでしょう。

もともと、それほど興味はありませんでしたが、ニュースで「モントリオール世界映画祭グランプリ受賞」ってやっていたのを観て、俄然、観たくなった作品です。
予告などを観る限りでは、非常にシリアスで凛とした静かな映画を想像していたのですが・・・

実際に観てみると、冒頭からユーモアがタップリで、予想以上に笑わせてくれるシーンが多くって驚かされました。
その後、中盤からは次第に泣かせるシーンも多くなり、後半では胸が一杯になるような泣けるシーンも多くあり、劇場のあちこちから鼻をすする音が聞こえたほどです。

かくいう僕も、そのユーモア感覚の素晴らしさにニンマリと笑いつつ、後半のいくつかの葬儀のシーンでは涙が溢れてしまいました。

主演の本木雅弘の筋が通った演技、立ち居振る舞いの姿勢の素晴らしさ、そして共演の山崎努の飄々としたユーモア感覚と存在感、この二人の見事な演技を観ているだけでも満足な作品でした。

そのドラマと演出と演技が三位一体となり、全体では非常に素晴らしい作品となっていました。
今年僕が観た邦画の中では、文句無くナンバー1と言っていいほどの作品で、多くの観客に観ていただきたい傑作です。







※以下、ネタバレがあります。





 監督が滝田洋二郎だって知ったのは、映画を観る当日だったのですが、思えば「病院へ行こう」(1990)や「僕らはみんな生きている」(1992)など、いまだに印象に残っている傑作を撮った監督です。

この2本は非常に好きで、一方は病院を舞台に、もう一方は海外のニッポン人サラリーマンを主人公に、ユーモアたっぷりにプロフェッショナルの仕事の舞台を描いていた作品です。

で、遅ればせながら、その滝田洋二郎が本作の監督だと知って、本作は間違いなく面白いだろうと予感したのです。

 実際観始めると、その寸前の予感は見事に当たりました。

もともと、監督が誰か知らずに(気にせずに?)観に行ったものですから、予告編やTVの番宣を観て非常にシリアスな作品を想像していました。
実際、冒頭の納棺師の仕事のシーンでは、凛とした所作と張り詰めた空気を見事に描いていたので、「ああ、この作品は徹底的に美しく凛とした作品なんだろう」と思ってしまったのです。

ところがどっこい(^_^;)
ものの何十秒かで、その考えがもろくも消え去ってしまいます(^_^;) お体を清めている時に「あれ?」となって、交代した山崎努も「あれ?」となって、もう観ている僕はニンマリとしてしまったのです。

年配客が多かった客席は、この場面ではまだ遠慮がちに笑い声が全く聞こえませんでしたが、本木雅弘がDVDのご遺体のモデルをやっているシーンになって、我慢しきれなかったのか、皆が声を出して笑うようになりました。

その後は、面白いシーンはゲラゲラ笑い、しんみりしたシーンには鼻をすする音が劇場内のあちこちから聞こえてきたわけです。

 そう、ユーモア溢れる滝田洋二郎監督らしい演出が全編に冴え渡っているのですが、中盤、5分遅刻して遺族から怒られるシーンで、見事な納棺の仕事が終わって逆に遺族から感謝されるシーン、このあたりから、非常に美しい映像と亡き人を送り出す心のこもった納棺師の仕事振りに、胸が打たれるようになりました。

極めつけは、銭湯のおかみさん(杉本哲太演じるおさななじみの母親)の葬儀のシーンで、息子夫婦と孫ひとりに、納棺師夫婦だけのごく少数で納棺の所作を行っているシーン。
このあと、棺が燃やされるのですが、そこに居た銭湯の常連のおじさん(笹野高史)のセリフも含めて、後半最大の泣かせる場面となっていました。

この場面を観ると、家族が亡くなる事の意味合い、残された家族が感じる気持ちなどなど、観る人によってさまざまな事を感じる場面だろうと思います。
僕は笹野高史が、死を「門」だと例え、俺も行くからまた会おうな、と言葉をかけるシーンが印象に残っています。

 物語は、最後の最後に主人公が長らく別れた父親と、遺体の姿で対面する場面で終わります。
そこに、反発心しかなった主人公ですが、子供の頃に父親と交わした石ころを父親が握り締めたまま亡くなっていた事に、一気に記憶と想いが噴き出してきて、涙を流しながら納棺の作業を行います。

余計な後日談など入れず、この場面で潔くエンディングを迎えるって点は非常に素晴らしかったと思います。

 全編、音楽の使い方が良かったのですが、エンドクレジットを観ると音楽が久石譲でしたね。
或いは、主人公が元オーケストラのチェロ奏者だって事で、クラシックの使われ方も良く、主人公が幾度か、印象的な場面でチェロを弾くシーンが良かったですね。
特に、奥さんが実家に帰って、会社の3人だけでクリスマスを過ごす夜にチェロを弾くシーンは美しかったです。

 さて、物語的に一番気になったのは、やはり広末涼子演じる主人公の妻の態度でしょう。

もちろん、けがらわしいと突っぱねるのは違和感もあるかも知れませんが、彼女が夫に今の仕事を辞めて別の「普通」の仕事に就いて欲しいと願うのは、ごくごく普通の反応だろうと思います。

彼女は一旦、実家に戻るのですが、妊娠によって夫の元に戻ってきます。
しかし、それも夫の仕事を認めたわけではなく、やはり夫に「私と子供の事を考えて、誇れる仕事に就いて」って事で、翻意を促していたわけです。

ただ、その時に銭湯のおばさんが亡くなって、たまたま夫の納棺師としての仕事を実際に見ることが出来て、彼女の考えもきっぱりと変わったのだろうと思います。
最後に夫が父親の納棺の作業をしている姿を見る目ってのは、以前とは全く違う愛情に満ちたものとなっていたと思います。

彼女が夫の仕事に最初、理解を示さなかったのは良くわかります。
ただ、それまでの彼の仕事振りと観ているこちらとしては、「実際の仕事振りを見ればすぐに気持ちが変わるだろうに」と思っていました。
それが実際に見る事によって全てが変わったのだろうと思います。

 さて、主人公を演じている本木雅弘ですが、非常に素晴らしいですね。
おそらくプロフェッショナルな役柄をさせたら天下一品では無いかな?と思います。

前半で、オーケストラの一員としてチェロを弾くシーンもそうですが、実際に納棺師としての着替え、化粧などの所作を観ていても非常に美しくって無駄の無い動きをしています。
おそらく猛練習をなさったのでしょうが、観ていて不安感を全く感じないどころか、自分が死んだときにはこんな風にされたいなぁ・・・と思わず思ってしまう優しさ、思いやりが感じられました。

かと思えばDVD撮影のシーンのように、見事な肉体をさらけ出して大爆笑のシーンまで演じるのですから、幅広い演技だなぁと感じた次第です。

 一方の山崎努も、さすがの貫禄でした。
冒頭の面接のシーンの飄々としたユーモア感覚も素晴らしいし、本木雅弘同様、納棺師の仕事の場面でも美しさと凛と張り詰めた空気を見事に維持していたと思います。

 さて、本木の妻役を演じた広末涼子です。
どうも、あまり好きになれない面もある女優ですが、今回は僕は違和感を感じずに、逆に夫目線で彼女に惚れてしまいそうになるくらいの感じを受けました(^_^;)
ま、夫が最初の仕事の後に、肉料理が食べられなくて思わず彼女に抱きついて性的な欲求が高まるってシーン、なかなかエロティックな感じが良く出ていました。

そういえば、あのシーンでは死に直面した主人公が、死して活動を停止した「肉の塊」としての遺体ではなく、血が通って生命活動に満ち溢れた妻の体に触れて、その感覚を深く味わいたいって思ったのでしょう。
また、死に対する恐怖から性に転化して、自分が死にたくない、自分の子孫を残したいって無意識の欲求もあったのかもしれませんね。
人間の死と生、そして性を感じさせるシーンで、ちょっと観ていてエロティックなので焦りましたが、好きなシーンでしたね(^_^;)

 死をもって終わりと考えるべきだろうか?ってのは永遠の命題だろうと思います。

しかし、残された人が死者を送り出す儀式を通じて、亡き者への想いを重ねていく姿は、亡き者への敬意と愛情の現われでしょうし、それがひいては残された者が生きている他者を愛し、思いやる気持ちに繋がるのかもしれません。

葬儀を通じて、死者をあの世に送り出す、そして自分もいずれは同じ道を辿って送り出される事になるのだ・・・と、それぞれが感慨深い想いにひたる事になるのでしょう。

2008年10月 5日 (日)

「容疑者Xの献身」感想

「容疑者Xの献身」感想

(08年10月04日 TOHOシネマズ梅田・シアター1)
(監督)西谷弘
(出演)福山雅治 柴咲コウ 北村一輝 松雪泰子 堤真一

面白度 :9点/10点
お薦め度:8点/10点


 TVドラマ「ガリレオ」の「劇場版」、「容疑者Xの献身」を初日に観て来ました。

 いやぁ、予想外に素晴らしかったです(^^)
ひとことで言えば「泣けるミステリー」と言えるでしょうか。

ストーリーの素晴らしさと役者の演技、特に福山雅治のカッコ良さと堤真一の演技の素晴らしさに、ほぼ満点の感想を持ちました。

ただし、ストーリーがあまりに重い・暗いので、TVのテーマ曲のような軽やかなイメージで見ると、冒頭から一気に突き落とされる気がしますので、僅かにおもしろさを9点としました。

またお薦め度も、カップルが娯楽で観に来るには重過ぎる気がするし、TV版のような実験で証明する派手なシーンは唯一冒頭に登場するだけ、しかも本編とは一切関係なく、それ以外にド派手なシーンは一切登場しませんので、僅かに低い8点としました

 この映画、TV版を観ていてキャラにハマっていたので、劇場版も是非とも観たい!と思っていたのですが、一方でストーリーに関しては、正直、あまり期待せずに観に行きました。

ま、昨今のTVドラマの劇場版はやりの中で、どうしても知名度だけで客を引いて内容はイマイチが多い・・・ってイメージがあったからです(あくまでもイメージですが(^_^;))。

ところがどっこい!

観始めると一気にドラマに引きずり込まれたのです。
中盤では「これでオチがあるのか?」と逆に不安になりましたが、クライマックスに次々に展開するオチには、これはもう驚かされると同時に、非常に「泣かされる」展開となっていったのです。

おそらく、原作付きの映画ですから、原作そのものが素晴らしかったからでしょうが、それにしても昨今の邦画の中でも図抜けて完成度の高い作品であったのでは?と思います。

ごく自然で普通な風景が、実はラストへの伏線となっていたのも見事だし、トリックに関しても手品のように「そうなるか!」と驚かされる見事なものであったと思います。
またラストに関しても、観ている人がそれぞれに賛成・反対の意見を持てるようになっていて、非常に考えさせられる物語の終焉であったと思います。

キャラで言いますと、僕が「この世の中で一番、なりたい顔」と思っている福山雅治、これがスクリーンで観ても映える男前っぷりで、男だけど惚れ惚れして見ていました(^_^;)

一方、あい対する堤真一は、かなり偏執狂的な風貌で暗いキャラを演じていたのですが、そのキャラ作りの徹底さ、そしてラストで見せる叫びの素晴らしさで、このドラマの重厚な物語の完成度を上げるのに役立っていたと思います。

今回は、正直、柴咲コウと北村一輝は「手駒」の一つとして使われていて、TV版のように湯川との密接な絡み合いってのが、それほど感じられませんでした。
しかし、ドラマそのものが良かったので、その点はそれほどマイナスではありませんでしたね。

あと、TV版では柴崎演じる内海とコンビを組んでいた品川祐が、実にチョイ役のゲスト出演的だったのは残念だったかなぁ(^_^;)
個人的に「役者」としての品川が好きだったもので(^^ゞ
おそらく、映画としては品川祐よりも北村一輝の方が、重厚なドラマに「絵的」に映えると思ってのキャスティングかな?と思います。

 いずれにしろ、先日観た「パコと魔法の絵本」が今年見た邦画のナンバー1かな?と思っていたのですが、意外な所に伏兵が潜んでいましたね。

大人なミステリーを楽しみたい人には、非常に上質な2時間が楽しめる、傑作であったと思います。
お薦めしますね(*^_^*)








※以下、ネタバレがあります。







 ま、ド派手なシーンは唯一冒頭に登場する実験シーンのみで、しかもそれは本編とは全く関係ない導入部エピソードなんですよね(^_^;)

いわば「ミッション:インポッシブル」(MISSION IMPOSSIBLE:1996)の冒頭シーンのようなもので、メンバー紹介程度の意味合いしか無いでしょう。

それ以外、この映画には実験シーン・ド派手なシーンは一切登場しません(^_^;)
その意味では、TV版の「ガリレオ」をイメージして、映画版なんだからさらにビジュアル的に派手なシーンの連続か?と思って観に来た人には「あれ?」だったろうと思います。
例のTV版のテーマ曲、あの軽快で明るいイメージを持って行くと、全く違ったウェットさ、ヘビーさに違和感を感じる事でしょう。

また、ストーリー的にはTV版のどのエピソードよりもヘビーで、重く暗いテーマ・展開であるので、全体のイメージは大きくTV版とは異なっていたと思います。

僕はこの作品にハマったので、大いに絶賛したのですが、一般的にはお薦め度が低くなってしまいますね(^_^;)

 さて、TV版の「ガリレオ」は全エピソードを観ているのですが、各エピソードで出来・不出来が大きかったとは言え、全体の雰囲気、特に湯川学のキャラクターと演じる福山雅治のカッコ良さには大いにハマってしまい、あれだけで終わってしまうのが非常に惜しいなぁと感じたほどです。

ちなみに、TV版エピソードとしては冒頭の何話かと最後のエピソードくらいがハマった程度で、途中は微妙なエピソードが多かったように思います。

 実は今回の劇場版はそれほど期待していなかったんですよね(^_^;)

TV版が好きだったって事で「キャラ観たさ」に「観たい!」と思いましたが、ストーリーに関してはそれほど期待していませんでした。
原作付きって事で、原作の評判も良いですから、そこそこは面白いとは思いましたが、予告編やCMを見る限りではTV版とは違って、すこし「暗い」「重い」って印象を受けました。

また、昨今はTVドラマの劇場版ってのが多くて、どうも、知名度で観客動員数が伸びてるだけって感じだったのも、今回の劇場版への期待を薄くしていた点があります。

 ところがどっこい!

 実際に観始めると、出だしこそスローペースで「大丈夫か?」と思ったのですが、松雪泰子演じる花岡の元夫が登場してDVで暴れるあたりからヒートアップし、花岡が元夫を絞殺するあたりでは、既に花岡に心情がハマりこんでいたわけです。

その後、トリックは一切明かされず、どうやら隣人の堤真一演じる石神が死体処理とアリバイ作りに手助けしたらしいって事だけがわかって、ストーリーは進行します。

このあたりは非常にハマったのですが、逆に中盤は「あれ?大丈夫か?」と思うようになりました。
中盤あたりでは、目だったストーリーの展開もなく、福山雅治演じる湯川の明晰な謎解きや実験もなく、淡々と花岡と石神の生活を描く部分が続くからです。

このあたりで感じたのは、「果たしてこのドラマには『オチ』があるのか?」って点でした。

ミステリーとして考えると、TV版では湯川が名探偵よろしくトリックを暴いて「無事解決」ってエンディングを迎えるのですが、今回の劇場版を観る限りでは、これだけ重くて暗い展開では、最後に「オチ」としての「謎解き」など入り込む余地が無いのでは?と感じていたのです。

しかし、この映画はそんな僕の不安を吹き飛ばすほど、クライマックスであれよ、あれよと言う間に矢継ぎ早の展開で見事な「オチ」をつけてくれました。

 まず最初に、石神が自首して石岡親子の罪を全てかぶったって点に、驚かされると同時に泣かされてしまいました。

劇中の雪山登山のシーンで、石神が湯川に「この謎を解いても、誰も幸せにはならないんだ」と言います。
その言葉を、のちに湯川は内海に繰り返すのですが、その通り、この悲劇的な物語の中にあって、湯川が謎を解いて全てが明るみに出ても、誰も幸せにならないわけです。

もちろん、(あとで語りますが)倫理的な意味合いでは、突発的殺人であっても、罪は罪として告白して裁きを受けるべきだと言うことでしょうが、元夫のストーカー的DVに苦しみ、新たにダンカン演じる男性との幸せな未来を築けそうになっていたし、若い娘の為も考えれば、全てを石神が引き受けて終われば、石神以外は誰も不幸にならずに済むって事です。

それを意味する石神の自首シーンで、僕は大きく心を打たれました。
凡百のミステリーでは、下手に泣かそうとすると必ず失敗して、ウェット過ぎて僕は受け入れられないケースが多いのですが、今回は演出も役者の演技も見事だったせいか、大いにハマりました。

しかも!

それだけに終わらず、このドラマでは、さらにとどめの一撃を喰らわせてくれます。
それが湯川による「トリック」の解明です。

出勤簿を見て気付いた点なのでしょうが、誰しもが犯行が実際の犯行の「翌日」に行われたものと思い込み、警察も花岡への聞き込みでは犯行翌日のアリバイしか尋ねなかった。
観ているこちらは、のちに映画のチケットの半券などを用意して、偽装工作をしたのだろう・・・と思っていたのですが、本当は犯行は警察が思っていた日の「前日」に行われており、実際に翌日にあの親子は映画を観たのでしょう。
ですから、花岡親子は演技ではなく、一切、嘘をつくことなく「聞かれたら真実を答えれば良い」って事になります。

それに至るまでの石神の「もう一つの殺人」も見事でした。
そのトリックを使う事によって、被害者が実際に殺された日の「翌日」に殺されたように見せかけ、その為の顔と指紋を潰す行為だったのです。

また、冒頭にダラダラと川岸のホームレスの姿を、石神の出勤の風景として描いていたのですが、最初、「なんで無意味なダラダラしたシーンを続けるんだ?」と感じました。
しかし、それが実はベンチに座っていたホームレスが「消えている」シーンを描く事によって、トリックの前フリとして必要なシーンだったってのも、「なるほど!」と感心した次第です。

 作品としては、正直「意外」であった点が、面白さに繋がったと思います。

これが、もし「踊る大捜査線」のように、派手なシーンを意識して、TV版のテーマ曲のように軽快なものを意識して作っていたら、見栄えはするでしょうが、ドラマとしては軽いものになっていただろうと思います。

それを、こちらがイメージしていたものと真逆の、非常にシリアスで重いものにしていたのが、成功に繋がったと思います。

その一方で、僕はその意外性にハマってしまったのですが、TV版のイメージが強い人、コミカルで軽妙洒脱なイメージをそのまま期待して観に来た人にとっては、あまりのシリアスさと重さに、面白くない・退屈だとの印象を持った人も居たと思います。

このあたりは、非常に微妙な点であったろうと思います。

 さて、この映画には一つ「非常に重要な問題」が残されています。

それが、最後の湯川の行動なのです。

つまり、石神の言う通り、この事件ってのは「謎を解いても誰も幸せにはならない」事件なのです。
学生時代の友人として、湯川も石神のやろうとしている事、その意思ってのは十二分に理解していたはずです。
観ているこちらも、現実には倫理的問題があるけれど、ドラマの中の架空の話としては、悲惨なDVに幸せな家庭を崩壊されそうになったつましい親子にとっては、あの事件を石神が偽装して自首する事によって、全てが(石神以外)丸く収まっていたはずだろうと思います。

なのに、なぜ湯川は謎を解明し、それを花岡に伝えてしまったのか?

湯川が花岡に全てを伝える事によって、良心の呵責に耐えられなくなった花岡は警察に出向き、自首する事になったのです。
ラストに川ざらいで元夫の遺体が出てきたと思われるシーンが描かれていました。
具体的証拠がなければ、花岡が有罪となるのは難しかったでしょうが、どうやら花岡も罪を償うことになるようです。

ここで問題になるのが、湯川が何も語らなければ、全てを胸にしまっておけば、全ては石神の思い通りになって、衝動的に殺人をしてしまった花岡親子も、心に傷を負いながらもダンカン演じる男性との再婚で幸せな人生を暮らす可能性が高かったと思えます。

 再び問いますが、なぜ湯川は謎を花岡に伝えてしまったのか?

 理由としては二つほど思い浮かびます。
一つには、湯川の倫理観がそれを許せなかった。
もう一つには、作者の倫理観がそれを許せなかった。

 一つ目としての「湯川の倫理観」ですが、彼は単純明快に「物理現象の謎を解く」事にしか興味が無く、犯人の犯意その他には全く興味が無いのですが、今回は容疑者が友人って事で、これまでとは全く違った結論を出したようです。
本来なら、彼は謎を解明して内海に告げるだけで役目を終えていたはずですが、本人から直接、石神と花岡に謎を告げに行きます。

ここには、おそらく「友人」と思っていた石神に、逆に「君を友人とは思っていなかった」と告げられた事もあったのかもしれません。
それでもなお、湯川は石神を友人と思っていたのでしょう。
そうした気持ちもあってか、逆に友人だからこそ、真実は明確にするべきだとの湯川自身の倫理観があったのだろうと思います。

感情論としては、友人が墓場まで持ち込もうとしていた「謎」であり、石神が言うとおりにその「謎」を解明しても誰も幸せにならないって事を湯川自身も知っていたわけですから、僕だったら、石神の意思を尊重して謎の解明を胸に秘めたままでいたと思います。

しかし、湯川はそれを黙っている事自体が、湯川自身の自分への裏切りであるだけでなく、石神が嘘をつき続ける事すらも、倫理的に間違っているとの「自分の倫理感を他人にも適用する」との湯川の倫理観があったのかもしれません。

 もう一つの「作者の倫理観」ですが、これは今回の劇場版が原作どおりのオチなのかどうか?分かりませんので、あくまで「作者」としてましたが、原作者か映画の脚本家かは分かりませが、いずれにしろ、物語を考えた人の倫理観です。

例えば、ハリウッド映画では「ハッピーエンド」にならなければならないって強迫観念があるようで、原作小説やオリジナル映画がある映画でも、アン・ハッピーなエンディングを平気でハッピーエンドに変える風潮があります。

例えば、物語の中で非倫理的・非道徳的な行為を行った人間は、必ず殺されるか逮捕されて罪を償うようになっているのです。
決して、そのような行為を行った人物が、エンディングで自由になってはいけないのです。
その例外も幾つかありますが、それはあくまでも「意外な」作品として、ハリウッドでも珍しい作品になっています。

翻って本作ですが、ま、ドラマ的にも容疑者石神の思い通りに事が進んでしまうと、ネタばらしも無くて、あまり面白くないオチになってしまうって問題点もあったろうと思います(^_^;)

しかし、それ以上に製作する側が、犯行を容認するようなドラマを作りたくない、行った罪は償わなければならないって思いがあったのかもしれません。

それは、登場人物の石神自身にも言えると思います。
彼は、行ってもいない殺人の罪を告白して逮捕・起訴されて刑務所行きになるよりも、「実際に」殺人を犯して、その罪で刑務所に入ることのほうに、自分自身の心理的葛藤を少なくさせていた節があります。
つまり、実際に人を殺しているんだから、自白するのも嘘ではないし、刑務所に入って罪を償うのも嘘にはならない。

途中で湯川が言っていたように、もし最初から石神が関わっていた計画的なものであったなら、石神は決して「殺人」は選ばなかっただろう・・・って言葉、これも関係してくるかもしれません。

ある意味、石神のそこまでの潔癖性ってのが災いしたのでしょう。本来なら花岡の元夫の1人だけが死んで終わりだったのに、偽装工作をするために、どこの誰ともわからないホームレスをもう1人、殺さなければならなかった。

作者の倫理として、「人を殺した人間は、ドラマの中でも裁かれないといけない」と思っているとしたら、石神が裁かれるのはホームレスを殺したからです。
となると、もう1人の被害者、花岡の元夫を殺した罪として、花岡自身も、ドラマの中で裁かれないといけない・・・

下手に石神がもう1人の殺人を犯した為に、2人の被害者が出た。
とすれば、それぞれを殺した犯人が、それぞれの罰を受け入れないといけないって事になってしまうのだろうと思います。

 実際に、この湯川の倫理観にしろ作者の倫理観にしろ、それが働いたのかどうか?は分かりません。
そこまで考えずに、ドラマのオチとして盛り上げる為に考えたオチが、「たまたま」こうなっただけ、とも考えられます。

それでも、観ている観客に「あそこで湯川が胸に収めていれば」と感じた人も少なくなかったのでは?と僕は思うのです。
その良し悪しは判断できませんが、それを考えさせるだけの、ドラマの深み、観客の感情への揺さぶりの深さってのが、この映画にはあったのだろうと思います。

« 2008年9月28日 - 2008年10月4日 | トップページ | 2008年10月12日 - 2008年10月18日 »