「擬態 カムフラージュ」ジョー・ホールドマン
【読書感想】
「擬態 カムフラージュ」ジョー・ホールドマン
「擬態 カムフラージュ」ジョー・ホールドマン(著)金子司(訳)
早川書房/定価:本体1900円+税
ジョー・ホールドマンの「擬態 カムフラージュ」を読みました。
感想は・・・かなり微妙ですね(^_^;)
本の帯にかかれている設定、深海から発見された人工物って設定から、誰しもがマイケル・クライトンの「スフィア」を思い浮かべたでしょうし、あれと同様に謎の物体の科学的解明が物語りの中心になるのだろうと思っていたのです。
ところが、実際には人工物の解明は全く進まず、中盤以降の物語は、擬態可能な異星生命体と人間との関係を描くドラマにほとんどを費やしていたわけです。
おそらく、僕と同じような先入観で読み始めた読者は多いと思いますし、読み進むにつれ「あれ?なんかおかしいな?」と感じた読者も多かったと思います。
そしてラスト、あの終わり方には肩透かしを食らわされたと感じた人も多かったでしょう。
僕自身は、途中で「あれ?」と思いつつ、結局は全く進まなかった人工物の科学的解明の部分に対する不満もありましたが、それとは別の面白さに惹かれて、読書としては満足の結果になりました。
「別の面白さ」とは、擬態可能な異星生命体が人間に変身して何十年と経過し、その中で人類とその歴史を第三者的に観察する部分の描写が面白かったのと、さらに人間の感情部分にも興味を持って、次第に人間への愛情を感じるように変化していった部分、主人公と<変わり子>との関係の部分が非常に面白く感じられたわけです。
ラストで単純な恋愛ドラマ的部分と単純な善悪の対立で終了してしまう物語は、正直、物足りない部分と意外な部分が大きかったですが、それらマイナス部分を補って余りある魅了があったので、結果、満足した次第です。
ま、肩透かしをくらいそうな感じがしますので、お薦め度は少し低めですね(^_^;)
※以下、ネタバレがあります。
ジョー・ホールドマンと言えば、SF小説ファンにとっては傑作「終わりなき戦い」で記憶に残る名作家です。
しかし、逆に言えばそれ以外の著作は、あまり翻訳される事がなく、傑作を排出した作家にしては不遇なイメージがあります。
僕自身、「終わりなき戦い」を読んだ以外では、現在絶版状態の「マインドブリッジ」を読んだのみです。
ただし、数年前に久しぶりに翻訳された「終わりなき平和」の出版から、再評価され始めた気がします。
今回の「擬態」は、そうしたホールドマンの再評価の流れの中での最新刊って事で、かなり期待して読み始めました。
読み終わった感想は・・・かなり微妙ですね(^_^;)
小説としては非常に面白かったのですが、読む前に期待していた内容とは大きく違っていた為、ちょっと肩透かしを食らった気がします。
しかし、想像していた内容とは大きく違っていたとは言え、その違っていた内容ってのが、これまた意想外に面白かった部分もあるので、結果、「面白かった」って感想になりますね(^_^;)
物語は、2019年、1万メートルの深海で発見された謎の人工物の引き上げと科学的調査の物語が語られる一方で、あらゆるモノ・生物に擬態可能な異星生命体の過去から現在に繋がる物語が、同時進行で交互に描かれる形態をとっています。
そして、その異性生命体の物語が、1930年代・40年代から始まって、もう一方の現代の物語とシンクロする後半部分から、物語は核心へと突き進むわけです。
帯にも書かれている「1万メートルの深海で発見された謎の人工物」って設定から、誰もがマイケル・クライトンの「スフィア」的展開を想像した事だろうと思います。
実際、僕もこの本を手にとって購入したのには、ホールドマンの久しぶりの新作だって点もありますが、この帯に書かれた設定が、SFマニアの心をくすぐる、「ゾクゾク」とさせる部分があったからです。
人類が文明を発祥させる以前に海底下に埋もれたと思われる、しかも自然物ではなく人工物としか思えないものって事で、その科学的分析、或いはそれ以上に内部に高等生命体などが居た場合は、「ファースト・コンタクト」テーマにも発展するかもしれない・・・って期待感にゾクゾクしてしまうわけです。
ところが・・・
実際に読み始めてみると、なかなか「謎の人工物」の「謎」が解けない(^_^;)
いや、解けないどころか、全く反応しないのですね、この物体が。
しかも、物語的には無反応の人工物を描く「現在」の部分よりも、擬態できる異星生命体の視点から人類の歴史、文明観、思考形態などを観察する、もう一方の物語の方が、俄然、面白く感じられたのです。
この辺り、ホールドマンの未だ衰えない筆力にもよりますが。
いずれにしろ、読む前に期待していた「スフィア」的な科学的解明の方向は全くの足踏み状態で、どうなる事か?と思っていると、中盤で二つの物語がシンクロしたあとも全く人工物の謎の解明は進まず、結果、遂にはラストまで、人工物の科学的解明をハードSFで描くって部分は無いままにエンディングを迎えたのです(^_^;)
こうなってくると、下手にハードSFとしての科学的解明の部分に期待し過ぎただけに、「あれ?まだ解明しないのかな?」「え?まだ反応はないの?」「・・・おいおい、遂にラストになったけど、全く分からんままで終わりなの?」と思ってしまったのも事実です。
ただし、これは僕が最初に先入観を抱いて読み始めたからダメなだけであって、何も知らずに読んでいたとしたら、これはこれで非常に面白い小説であったと思うのです。
・・・いや、やっぱりこの冒頭の設定から考えると、誰しもがハードSFとして人工物を科学的に解明していく姿を描くのが中心の本と思う事でしょう(^_^;)
それが、ラストではまるで「良い宇宙人」と「悪い宇宙人」が戦う、超娯楽作品のような、あたかもジャック・ショルダー監督の映画「ヒドゥン」の如き、分かりやすい勧善懲悪プラス感動ドラマのような、そんなエンディングを迎えるのですから、「ええっ!そうなの?」と驚いてしまったのも、許して欲しい限りです(^_^;)
この物語では、前半から中盤にかけては、先にも書いたように僕は擬態可能な異星生命体が、1930年代に海から地上に現れて、外見は人間そっくりになるのだが、次第次第に「人間らしさ」を学んでコピーしていくあたり、ここが非常に面白く感じられて、冒頭から没入していったのです。
同時に、冒頭では深海から発見された人工物の物語を描く現在の部分も、非常に面白い出だしだったのでハマってはいました。
しかし、中盤になっての一向に人工物の調査の部分で進展が無かったもので、次第次第に、現在の部分よりも異星生命体の物語の方にハマっていってしまったのです。
しかも、異星生命体の物語の方は、単に人間を模倣するってだけでなく、人類の歴史・文明・文化、そして感情までも観察し、共感しようとしていく異星生命体の方に、小説としても深みを感じてきて、さらにグイグイと惹きつけられて行ったわけです。
このあたり、ホールドマンもかなり高齢になっているでしょうが、未だに文章力が衰えない・・・どころ、さらに上手くなっていったと感じられる点でした。
いずれにしろ、物語が半分以上、いや3分の2くらい進んで両方の物語クロスするに至って、「どうやら、このまま進むと人工物の科学的調査の部分では、物語的になにも進展しないまま、異星生命体と人間との交流の部分だけで物語が終わってしまうのかも?」と思い至るようになりました(^_^;)
実際、その通りではあったのですが、僕がこの小説をそれでも面白いと思ったのには、後半部分での「恋愛」的展開の部分に興味が惹かれたからです。
現在の部分で主人公を演じているラッセルと、擬態可能な異星生命体の<変わり子>とが、互いに人間の男女として惹かれあう姿を描く後半部分では、非常に分かりやすい人間ドラマSFとしての形態をとっています。
前半で見られた非人間的(って、人間ではないのですから当然なのですが(^_^;))な<変わり子>の内面描写が変化し、次第に人間の「情感」の受け止め方を考察するように変化していく。
それが、ラッセルを恋愛感情で落として仲間に入り込む為だったとは言え、その手段を使った<変わり子>が自分で自分の術中にハマってしまった形になるのです。
ま、早い話が<変わり子>が人間に惚れてしまったってわけなのですね(^_^;)
その後、<変わり子>自身も彼と会いたいって気持ちの方が強くなり、自分が本来求めていた人工物への接近よりも彼との関係の方に考えの重きが移っていくあたりが面白かったです。
物語はラストで、実はもう一人の異星生命体<カメレオン>との邂逅となり、異星生命体同士の対立に人間のラッセルも巻き込まれていく事になります。
この時点で、物語は「善玉宇宙人」VS「悪玉宇宙人」って構造に近くなり、非常に分かりやすいエンディングを迎えるわけです。
この辺りも、物語が人工物の調査が全く描かれないままに終わってしまう不満点同様、イージーな対立構造で終わってしまうって残念さもあって、小説としては不満を感じる人が居るのではないかな?と思いました。
僕自身も、恋愛部分は別としても、この善悪の対立構造って図式に関しては、もう少し深く突っ込んで欲しかった気もします。
物語的には、両者が同じ起源を持つ異星人なのかどうかは分かりませんが、同様の擬態体質を持っているって事は、同じ起源なのでは?と想像させます。
そんな両者が、なぜに一方が攻撃的・破壊的になっており、もう一方がそれを守ろうとする行動をとったのか?が良く分からない部分があります。
ひとつ考えられるのは、<変わり子>の方は、人間観察を続けていくうちに、人間の表面的な行動パターンだとか、自分の起源を探すための学術的な知識の部分への興味のみならず、次第に人間の「内面」、つまり芸術への造詣だとか感情だとかにまで興味を移していくって部分があったからなのかもしれません。
実際、<変わり子>はその冒頭から、平気で擬態する相手の人間をブチ殺していましたので、人間を高等生物としてみなして「殺してはいけない」って観念は持ち合わせていなかったようです。
それが、次第に年月を経て観察する方向性が変わってきたので、単に人間を殺すのではなくなっていったのだろうと思います。
この<変わり子>が、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり死の行軍を経験したのに対し、もう一方の<カメレオン>は、その過去からして殺戮の中で生き抜いて行き、逆にナチス・ドイツ側に居てユダヤ人虐殺の残虐性を観察するなど行います。
ここまでくると、明確に両者を分け隔てるものが現れてきます。
おそらく、著者自身の歴史観もあるのでしょう。読んでいると人類の歴史における残虐性の問題など、深く哲学的に考える要素ってのも芽生えてくるみたいでした。
特に日本人としては、太平洋戦争での日本軍の捕虜に対する扱いの描写なども興味あった点ですね。
さて、肝心かなめの「人工物」の件ですが、小説中にはこの人工物の「思考」らしき描写があるのですが、この人工物のエネルギーを持ってすれば、人類や地球の破壊もイチコロのような描写があります。
しかし、結局は<変わり子>を連れて宇宙に旅立つのですから、その辺りの人工物の存在意義、思考なども去る前に知りたかったですね。
なぜに人類や地球を滅ぼさずにほったらかしにして去っていったのか?とかね(^_^;)
これで、この物語は終わってしまうのですが、個人的には解明されざる部分、人工物の解明だとか、<変わり子>のより詳しい正体など、もっともっと描いて欲しい気がしました。
ま、考えて見ればクライトンの「スフィア」も、謎の解明って部分で言えば非常に微妙だった記憶があります(^_^;)
オーパーツの謎をハードSFとして徹底的にあばくSF小説って、やっぱりJ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」が白眉だったなぁ・・・
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